記事一覧

武豊、オールナイトニッポンゴールドいろいろなまとめ

武豊、オールナイト日本ゴールドいろいろなまとめ

 日本中央競馬会(JRA)の武豊騎手(45)が26日放送のニッポン放送「武豊のオールナイトニッポンGOLD」(後10・0)でラジオパーソナリティーに初挑戦することが22日、分かった。騎手がDJを務めるのは同局史上初。この日収録に臨んだ武騎手は、競馬愛に加えて“まゆゆ愛”を激白し、「ディープなインパクトは残せた」とゴキゲンだった。

 JRAが誇る名ジョッキーは、ディスクジョッキーをやらせてもやはり一流だった。

 「“ディープ(深い)なインパクト(印象)”は残せたと思う。いい経験になりました」

 主戦騎手としてGI7冠に輝いた最強の相棒、ディープインパクトにひっかけて、武騎手が会心の笑みをみせた。

 今年はJRAが創立60周年。41年にわたり、競馬番組「日曜競馬ニッポン」(日曜後2・30)を放送するニッポン放送も開局60周年を迎えたことから、こんな夢のコラボが実現。同局のオファーに、トップジョッキーも「新しいファン層の開拓になれば」と引き受け、ラジオの“GIレース”となる同局看板番組への出演が決まった。

 この日行われた収録では、武騎手が1時間半にわたってその競馬愛を語り尽くした。忘れられないレースに1990年、2006年の有馬記念などを挙げ、それぞれで有終の美を飾ったオグリキャップ、ディープインパクトとの思い出を振り返るなど、貴重なトークが満載だ。

 希代の勝負師は、リスナーの「泣くことはありますか?」の質問に、「競馬ではウルッとなったこともないけど、最近はAKB48選抜総選挙のまゆゆ(渡辺麻友=20)のスピーチでグッときたね」と明かすなど、意外な?一面も披露。

 収録を終えた武騎手は「馬の上に乗っているよりも緊張する」と照れ笑いを浮かべたが、自身のデキには満足げ。次回の出演依頼は拒否しつつも「まゆゆと一緒だったら(笑)」とまんざらでもない様子だった。

 

 

 2chSCの声

 1:2014/09/23(火) 05:10:53.66 ID:

武豊騎手が初DJ!26日オールナイトニッポンで競馬愛を語る!!
http://www.sanspo.com/geino/news/20140923/oth14092305030001-n1.html

日本中央競馬会(JRA)の武豊騎手(45)が26日放送のニッポン放送「武豊のオールナイトニッポンGOLD」(後10・0)で
ラジオパーソナリティーに初挑戦することが22日、分かった。騎手がDJを務めるのは同局史上初だ。

今年、JRAが創立60周年、41年にわたり「日曜競馬ニッポン」(日曜後2・30)を放送する同局も開局60周年を迎えたことから、コラボが実現。
同局のオファーにトップジョッキーも「新しいファン層の開拓になれば」と引き受け、ラジオの“GIレース”ともいえる同局の看板番組への出演が決まった。

同番組は、武騎手が競馬愛を語り尽くす1時間半。忘れられないレースに1990年、2006年の有馬記念などを挙げ、
それぞれ有終の美を飾ったオグリキャップ、ディープインパクトとの思い出を振り返るなど、貴重なトークが満載。

リスナーの「泣くことはありますか?」の質問には「競馬ではウルッとなったこともないけど、最近はAKB48選抜総選挙のまゆゆ(渡辺麻友=20)のスピーチでグッときたね」と明かすなど、意外な?一面も披露。

22日に収録を終えた武騎手は「馬の上に乗っているよりも緊張する」と照れ笑いを浮かべたが、「“ディープ(深い)なインパクト(印象)”は残せたと思う。いい経験になりました」と満足げ。
次回の出演依頼は拒否しつつも「まゆゆと一緒だったら(笑)」とまんざらでもない様子だった。

5:2014/09/23(火) 05:27:34.40 ID:

引退近いな
7:2014/09/23(火) 05:55:03.18 ID:

タレント活動模索待ったなしだな。
一応事務所にも入ってるし、
競馬系スポーツコメンテーター、時々バラエティ、ドラマとか出そう。

この記事の続きを読む

佐藤哲三引退のまとめ

佐藤哲三引退のまとめ
ヤフーニュース

 落馬負傷で長期休養をしていた佐藤哲三騎手(44)=栗東・フリー=が16日、大阪市内で会見し、現役を引退することを明らかにした。一昨年の京都競馬で落馬負傷し、復帰を目指してリハビリを続けてきたが、現役続行を断念。26年の騎手生活に別れを告げる。今後は元ジョッキーの経験を生かし、競馬ファンの拡大に尽力していく予定だ。

 勝負師が静かにステッキを置く。落馬負傷で長期休養中の佐藤哲が10月12日で現役を引退する。「復帰という形でファンの期待に応えられなかったのは申し訳ない。でも、ずっといい騎手になろうと思って一生懸命やってきた。楽しかったです」。穏やかな表情で26年の騎手生活を振り返った。

 生死の境をさまようほどの事故だった。12年11月24日の京都競馬10R。最後の直線の入り口でバランスを崩して落馬、内柵に激突し、左上腕骨など数カ所を骨折した。

 不屈の精神で計6回の大手術に耐え、リハビリを続けてきたが、今年1月、引退の2文字が頭をよぎった。15時間にも及んだ5回目の手術後だった。「どこかで諦めないと、と思った。年齢的にもね…」。動かない左手を見て心は揺らいだ。

 復帰断念を決定的にしたのは7月30日。大山ヒルズ(鳥取県)に、デビュー時に手綱を取ったキズナの様子を見に行ったときだった。「キズナが甘える姿を見て“かわいい”と思ってしまった。それで、もう(馬を調教する)仕事は無理だと思った」。シビアに馬づくりをするうえで、マイナスとなってしまう感情の芽生え‐。苦渋の決断に至った。

 89年に騎手デビュー。積極果敢な騎乗は、多くのファンから支持されていた。「ベストレースは(11年)宝塚記念のアーネストリー」と振り返った。

 今後は元騎手としての経験を生かし、地方のWINSなどを回って競馬ファン拡大に努めるつもりだ。「外からJRAを盛り上げたい。調教師になるという選択は…気持ちの片隅にはあるけど、まずは与えられた仕事をやっていきたい」。第2の競馬人生に向けて口元を引き締めた。

 

佐藤哲三引退…

自身が語った思い出の5レース

00年皐月賞

 

02年アルゼンチン共和国杯

 (動画無しですみません)

 

03年ジャパンカップ

 

 

09年ジャパンカップダート

 

 11年ジャパンカップダート

 

11年宝塚記念

 

 

 

 

 

この記事の続きを読む

田辺騎手サマーシリーズ優勝のいろいろなまとめ

田辺騎手サマーシリーズ優勝のいろいろなまとめ
  • LINEで送る

田辺騎手サマーシリーズ優勝のいろいろなまとめ

 

JRAサマーシリーズの一環で、夏場の重賞14戦を舞台に行われたサマージョッキーズシリーズは、田辺裕信騎手(30)=美浦・小西一男厩舎=が35ポイントを獲得して同シリーズ初優勝を飾った。

 七夕賞(メイショウナルト)、関屋記念、京成杯オータムH(ともにクラレント)とシリーズ3勝を挙げて、堂々のV。この優勝によって田辺騎手は、褒賞金100万円とともに、ワールドスーパージョッキーズシリーズ(11月29、30日、東京)への出場権を手に入れた。

 ◆田辺裕信騎手「メイショウナルトとクラレントに勝たせてもらって、トップに立っていると知って、周りにもあおられて(優勝を)意識していました。ただ、この(京成杯AHの)成績次第でサマーマイルシリーズの結果も変わることを意識していたので、きょうは結果を出したいと思っていました。(前日に)落馬して体を痛めたけど、大丈夫でした(笑)。無様な競馬をしないで済んで、安心しています」

 
 
メイショウナルト-七夕賞

この記事の続きを読む

川島正太郎|偉大な父の背中を見て育ってきました。今後は父を見習って頑張っていきます

川島正太郎|偉大な父の背中を見て育ってきました。今後は父を見習って頑張っていきます
  • LINEで送る
川島正太郎|偉大な父の背中を見て育ってきました。今後は父を見習って頑張っていきます

 地方競馬の希代の名トレーナーで、7日に肝臓がんと糖尿病の合併症による呼吸不全で亡くなった川島正行調教師(享年66)の告別式が13日、千葉県船橋市の古谷式典船橋斎苑で営まれた。

 競馬関係者、一般弔問客ら約250人が参列し、故人との最期の別れを惜しんだ。戒名は「思いやりがあって勇ましい、馬の扱いなどに秀でている男、偉大な正行」を意味する「仁勇院英駿道正清居士」(じんゆういんえいしゅんどうしょうせいこじ)とつけられた。

 喪主の妻・るみさんに代わってあいさつした四男で騎手の正太郎は「偉大な父の背中を見て育ってきました。今後は父を見習って頑張っていきます」と語り、参列者の涙を誘った。

 千葉県競馬組合は、川島調教師の偉業をたたえ、26日の船橋競馬9R終了後にウイナーズサークルで追悼式を実施し、同日の10Rは「船橋最強調教師 川島正行追悼記念」のレース名で行う。また、22~26日の開催期間中には、ウイナーズサークル付近に献花台と記帳台を設置する。

 
頑張れ正太郎